ちょーパンダは癒される。この写真は上野動物園でとったものだ。 そういえば、パンダを見てなぜ多くの日本人が癒されるのかというと、言葉でどのくらい表現できるのだろう。 地元の千葉市動物公園にレッサーパンダがいる。この子たちも見に行ったが、やっぱり本物の白黒のパンダの愛らしさには、叶わない。笹にかぶりついて食するその姿は、独特だし、うううたまらない☆ こういう何とも言えないものを表現する方法として、(昔からの日本の和歌の文化なども表現方法としては素晴らしく良いが、それは別にして)最近、「萌え」という言葉が(すでに死語だったりして)流行ったが、そんなふうに、日常使う言葉で表現しづらい「何か」を表現するのは、なんだかあの秋葉系の場所というのも、創作の場としてはとても良いんじゃないかと思う。 言葉といえば、さっぱり自分の子供の使うゲーム用語が理解できない。私自身はゲームに興味がないし、テレビもあまり見ない。だから、子供がゲームの話をしてくると、私はとても残念になり、子供とゲームの話を続けようと思わない。拒否しているのだ。これを子供はどのように感じているんだろう。そして、しばらくその話は途絶えるが、また何日かすると、子供がまたしても前回と同じようにゲームの話をしてくるのだ。 なんなのだろう、この子供のゲームに対するモチベーションの高さは。 そしてなんなのだろう、全く子供のゲームに興味が持てないモチベーションの低さは。親としての罪悪感を持ちつつも、子供に合わせてゲームをしようとかそれに関する知識を得ようとは全く思わない自分なのだ、ということに気が付くと、ふと顔を見せた罪悪感はすぐに手放せてしまう。(笑) きっと、この関係は今後も続いていくのだろう。 そして、子供とのこの関係をキープしていくのには 傾聴が役立つ。内容は理解していないのだが、ただ「聴く」ことは出来るからだ。最初のうちは、子供に「わからないな~ごめん」と言っていたが、最近は、オウム返しをしたり、いろいろただ聴いている。内容はともかく、感情の動きや色々なところを感じ取る練習になっている。子供はそれで「聴いてもらえた」感覚があって、以前より満足しているようだ。 うちには後期高齢者に最近なったお年寄りもいて、同じことを何度も言ってくることが多くなった。 そして、それをただ「聴く」というのも、立派な傾聴トレーニングになる。どうしてただ「聴く」のが良いか、それは介護などされている方ならわかるだろう。。。最初のうちは戸惑ったが、もういい加減に慣れてきて、ではどうすれば相手にとって一番良いか、を考えることが出来るようになってきた。 ようは、相手と自分の間の共有時間、心が良い状態が保てるかどうか。少しでも、上を向けるだろうか。 これが理屈を超えたコミュニケーションなのだ。 日常でふつうにやっている人はそれで素晴らしいし、こういうことは経験なので年配であるほど出来るものだし、人とかかわりを持てば持つほどわかってくる。日常で心を聴くことをやっていないなあと自分で思う方は、とにかく一度は試してみてほしい。どんな感じがするか。相手を良い悪いと判断するのではなく、ただ命の存在として尊重し、共感してともにいること。 心の状態が良いことが、自分と相手の人生の一日を創る。 良い状態をキープ。そして沢山笑う。心が元気になる。 そうすると、やる気も湧いてきやすくなる。 そんなことに気が付いている相手と、会話をすると、みんな元気になるし、やる気も湧いてくるのではなかろうか。 よし、今日だけは、共感的な一日を過ごそう。^^ そうそう、昨日、「癒しの環境研究会」の高柳和江先生からお聴きしたのですが、 一日5回心から笑うと健康に良いそうですよ。早速実践させていただいております。感謝。
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Author福井利恵 Archives
3月 2022
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