依存してる人に対応できないのは 自分の中の依存する人格にNo!ていってることになるのかもしれません。 (依存状態は、別に被害妄想に陥っているつもりがなくても、 深く見てみると子供は親や学校に依存していたり、 大人も親離れできていなかったりするので、 ある意味深い意味、だれでも持っている部分なのですよね。) つまり、自分の力量の狭さを公開しているようなものですね。 コーチングの場合は、クライアントを直面させてっていう ところもあるので、 その場合はまずやっぱり カウンセリングなどで傷をいやしてからっていうことで やったほうが効率的っていうのは、 わからなくもないんですが 結局コーチも学べば学ぶほど、その必要性は 出てくるのですよね。 自分にあったクライアントさんと出会うわけだし。 コーチやカウンセラーの家庭は学びに合った出来事が勃発しています。 それは、神様がくれる試練というか、人生の学びの機会なんですよね。 だからコーチやカウンセラーの力量はどんどん深くなっていくわけで、 それはこの仕事をしていると周囲の仲間はそんな感じです。 そうすると、どんどん問題の大きなクライアントさんを扱えるようになってきますよね。 これってどんな心理セラピーにも言えることで。 「依存」ていうのをどこまでの線引きで受け入れるかってこと どこまで引き受けるかって決めること 自分のものじゃない部分は、ほかの人に任せるとかしないと 関係ない人が入ってきちゃったりして ひえーーー こわっ 超共感ワークだね。 「どんな自分もOK」 人の心をみる仕事は大変だ。 もちろん、学びにはなるわけですが、 みんなそれぞれ カウンセリングする側もされる側も コミュニケーションする側もされる側も 相手にどこまでオープンにするかを決めて、 一瞬一瞬でそれは決まってくるわけで あんまる無防備で 扱えないと、結局相手の迷惑になってしまうわけで。 書いていて、私もちょっと心が痛いです。 一句湧いた~~。 三次元 どこまでいっても 制限付き そこが面白いのだ 地球人生活(字余り) もっと書きたいほかの観点も湧いてきたけど、長くなってしまうので、またこの辺で。
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Author福井利恵 Archives
3月 2022
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