世界とは。 すべて自分の内面が反映されたもの。 そこに起こる現象も、子供が起こす問題も(笑) えてして、コミュニケーションは相手が自分に近ければ近いほど、その対応が大変なのである。 問題があったら、他人のせいにするのではなく、自分の内面のどこがそう現れているかを見る。これが1対0のコミュニケーション。つまり、自問自答。この方法は戦後日本で一気に行われなくなっている。ようやく学びなおしの時期にきているようだが、まだまだ、答えを外から与えられ続けたカルマから出られる人は、少数だろう。 そして、コミュニケーションを学ぶと、ここへ行きつき、自己から世界を創造していること、それがまったく可能なことに気がつくのだ。世界のレベルでは、ここまではいっている。 次は、1対1のコミュニケーション。相手がひとりの場合だ。相手が投げてきたコミュニケーションにどのように答えるか。傾聴、共感などのスキルが必要になってくる。これはやり方的なところがあるので、学ばないとわからないし、実践することで、自分の生き方になってくる。 その次、1対多のコミュニケーション。どのように伝えたらよいか、色々な受容パターンを持つ複数の相手に伝えるには。プレゼンの技術。 そして最終段階が、会議(多対多)である。 日本には、機能する会議がない。 なぜなら、この基本的なコミュニケーションの技術が導入されないまま、会議、会議を行っているから、経済、そのほかエネルギーも無駄に宇宙へ流れていってしまう。そのエネルギーをホールドするには、やっぱりそれなりのスキルや本気度が必要だ。 私のタイムマネジメントの師匠である行本氏はこのコミュニケーションの段階を 小学校~大学院にたとえた。 「会議は、コミュニケーション教育の、大学院クラスでの技術である。」そうだ。 日本の大切なことを決めているひとたち、実は今、そう考えると、小学生な人もいるし、大学生な人もいるんだろうなあ。いいえ、やっぱり全員小学校にも入学してないかも。(わかったふりして、大切なところで自分の心からの欲求を見ないふりしてるようだし) 日本って、もともと大切なものが沢山あったんだよね。 色々逆輸入して安心するんじゃなくてさ、(もちろんそれもいいことなんだけど)、日本人の誇りっていうか、なんか大切なものをなくさないでほしいな、と思う、今日この頃。(なくす前にまず思い出さないとなんですけどね)日本、これからどうなっちゃうんだろう。ということで、最近「日本」てことを伝え始めてます。 まず、自問自答(自分自身とつながる)が出来て、世界を自分が創っているんだって気がつくこと、それが日本人本来のあり方だと思います。それに気がつかないまま、色々なことに対処しようとしても、まあ表面上は取り繕えるんだけど、同じようなことを繰り返すだけ、そうこうしているうちに、今回の人生が終わってしまうよ。 そして、みんなが誇りを取り戻して、神様のような心でコミュニケーションをとれば、素晴らしい国になると思います。 すいません、なんか湧いてきちゃった。^^ コミットメントをひとつ。 「自分の選択を意識してすること」にします。それって昨日ある方に言われて気がついたんだけど、選択するときに直感はもちろんなんだけど、ちょっと自分なりの意識が足りてないなって、周囲の流れにゆだねるっていうのと自分で選択ってところで自分がちょっと逃げのほうに走っていたなあ、と気がついたのです。それで、これから訂正していこうと思いました。大切なことに気がつけて、良かったです。気がつかせていただけることへ、そして豊かな人生に、感謝。 素敵な一日を♪
0 コメント
行動すれば→結果が出る。まあ、これは当たり前なんですよ。そして、行動すれば、結果が起こるなということには嘘もなにもないんです。 ただ、行動するにも、どうにも望む結果が出ないときに、何があるのか。それは、多くの場合、自動車でいうと「アクセル」と「ブレーキ」を一緒に踏んでいる状況があります。 だから、この「ブレーキ」を外してあげれば良いのですが、いかんせん私たち子供のころから「評価」教育で「ブレーキ」を踏む癖を刷り込まれているもので、なかなか進もうとしない。この傾向は、年齢を重ねれば重ねるほど顕著になってきます。この状態を「保守的」とも呼びます。 ところで、このブレーキを外したら、どうなると思いますか? ・・・進むだけです。 この後は、ブレーキを外した人だけが知っている世界が始まるのです。 その世界では、「結果のセルフイメージ」が行動と結果をパワフルにつなげていきます。 体験談として、昔、お世話になった養豚農場でのストーリーをご紹介します。 これは、私がコーチングの勉強を始めた2006年、農場HACCPの指導で農場にお邪魔してスタッフのお話しを聴く機会があり、初めてコーチングを導入して傾聴をすることを始めた時のお話です。 「放牧養豚がやりたい」 右の写真は豚の分娩舎のしきりを取る試みを思い切ってしてみた一人のスタッフの英断の写真です。彼は放牧養豚がやりたくて、それをウインドウレス豚舎で具現化できないかと 自分で研究を重ねていました。「自分が将来やりたいのは、放牧養豚。でも、完璧にウインドウレス豚舎で、オールイン・オールアウトを徹底している農場でそれが可能なのか?」と、彼は悩んでいるのを打ち明けてくれました。ここで多くの獣医師は、反対するのか、「うーん、難しいんじゃないかなあ」というのがが普通だと思います。理由は、聞かないでください。そして、私はそうしませんでした。ただ、ひたすら聴いて、「へ~~~、そうなんだ。放牧養豚がやりたいんだ~~~、いいよね、放牧養豚。(だって本当に楽しそうに話すから)・・・じゃあ、やりたいんだったら、聞いてみたらいいんじゃない。社長に。」とはいったのを覚えています。(ブレーキはほかにも沢山ありましたが、徐々に外れていきました。本人が色々と行動を重ねていったからです) この「放牧養豚」プロジェクトが始まった時には、周囲の誰もが賛成していなかった、というかイメージ出来ない状態です。そして彼はある日、27室並ぶ分娩舎の仕切りを、全部取り払ったのです。(この当時分娩舎の仕切りを取って、離乳後の子豚にかかるストレスを少なくするという試みは流行したのですが、27部屋一緒にするというのは防疫上危険と考えるのが普通でした。今でもおそらくこれはチャレンジの部類です。) この後、この農場では、50頭ずつのロットで入っていた離乳舎のしきりも取ってしまって、1棟分、10部屋、つまり500頭の放牧状態になりました。 最初のうちは、心の広い社長さんも「病気大丈夫なの?」と心配していましたが、この後何が起こったかというと、子豚がみんな微笑んだのです。(月刊ピッグジャーナルの2010年1月号の表紙になっています) この農場にはもうお邪魔していないのですが、当時この写真を見て、社長が「ねえ、この豚笑ってるよねえ」と私に教えてくれました。豚が笑う。そんな感動を養豚場にもたらしてくれたのです。 もうひとつの願い・・・ 「病気から快復した豚を育ちが遅いからという理由で殺したくない」 それから、この農場では、虚弱で育ちが悪い子豚を淘汰せず、豚舎と豚舎の間の空き地に(小屋付)放牧することになりました。。。 この農場はSPF農場で、本来なら外に病気を持っているかもしれない豚が存在して良いわけがありませんが、なんと、社長がOKを出したのです。(養豚の獣医師としての視点でも、ある意味考えられない社長判断ですよ。)もちろん、「病気を出さない」という約束つきでしたが。別に問題は起きませんでしたし、休み時間にスタッフは、そこの豚が敷地内で好き勝手に遊んでいるのを眺めて癒されていました。時間はかかったようですが、ほとんどの豚が出荷されていきました。 「外で豚を飼いたい」というのも、私もタイミング良くお話しを聴かせていただいておりましたが、その時に、本人が「社長がだめといっても、でも、あきらめない。なんとか別の方法を考える」と言っていたので、また聴いて、「あ~、やるのね。うん、やっちゃってください」と言っただけでした。 最初に「自分は放牧養豚をやりたい」、と本人から聞いてから、3年くらいでその場に「放牧養豚」が実現していました!!素晴らしい。他にも、必然と偶然が交差する現象は沢山起きていたようですが、ここでは省略させていただきます。 イメージをしっかり持って、行動をすると、結果につながります。これは、一見無理と思えることこそチャレンジしてみると、不思議な起こり方を体験することが出来るものです。 この時に、行動する人が誰かにそのことを話してイメージをより明確に脳にインプットしていく過程があるのですが、ここにコーチングのセンスがある人に聴いてもらうと、大変パワフルです。日常会話と全く次元の違う前進が起こりますので、コーチング体験をお勧めしています。 それにしても、この話懐かしいです。 この農場と豚さんたちには、沢山の感動をいただき、 本当に今でも感謝をしています。 もう行かなくなって何年も経過しています。 命を更に大切にする農場になっていることを願います^^ 診療室で飼い主さんの話を聴いているとき、いったい何が起こっていると思いますか? 多くの場合私たち獣医師は、飼い主との医療面接中に、思考、感情、五感やイメージなど、いろいろなことが起こっています。 更に獣医師は、相手の話を聴きながら、自分に自然に起きてくる感情やイメージなどを横において、相手の望みを叶えるコミュニケーションをとっていく必要があります。それはまさに、スーパーコンピューターのよう。 同様のことが、飼い主さんサイドでも起こっています。望みを獣医師に伝え、伝えやすいか伝えにくいか、この人に話しても良いか、を一瞬一瞬のコミュニケーションで評価しつつ、自分の心配事から発生するであろう最善から最悪までのシュミレーションやそれに伴う感情が湧いているのです。 実は、ちょっとしたことの連続でコミュニケーションは成り立っています。いくら自分が優秀で、人柄が良い獣医師であるという評価を周囲から得ているからといって、例えば余裕がないときに、いつも同じ最善の状態でコミュニケーションをすることが出来る人というのは、正直少ない、いやいないと思います。 自分のコミュニケーション能力が長けていて、今まで飼い主とのコミュニケーションで全く問題のなかった方はほとんどいないでしょう。もしあなたがそうだとしたら、それは全く運が良かっただけかもしれません。怖い思いをされた方がほとんどだと思います。 この時、獣医師が自分のほうに湧いてきた感情が表情や態度に無意識に現れたら、その瞬間飼い主は自分の言いたいことを言いづらくなるでしょう。このフラストレーションが溜まって、人間関係がギスギスしていきます。人間関係を保っているのは相手の理性と、自分の動物を大切にしてほしいという願いからですが、しばらくして病院をだまって変えるケースがこれに当たるでしょう。 これは「サイレントクレーマー」です。 飼い主は、残念ながら、フィードバックをめったにくれません。 黙って病院を去ることがほとんどです。 だから、私たちはいつも恐怖と戦っています。 無言で去られるのを怖いと思い、でもそれを引き起こした自分を見たくないので、見ないふりをしたりします。 私はこのことこそ、とんでもないエネルギーの浪費だと考えています。 人間の医師と患者のコミュニケーションの講演で医師の日野原先生は、患者へ向かって「良い患者になるために、病院を不本意に去ったら、その後どうなったのかを一筆書いて送ってあげなさい。そうすれば、患者であるあなたも医師もその後どうなったのか、というもやもやした気持ちがすっきりするから。」と仰っていました。人間の医療でもなかなかそれをする人はまだそんなにいないと思います。もちろん動物病院にもこのことはそのまま当てはまります。これが出来る関係になったら素敵ですね。 飼い主の心配事を解消するには、飼い主の訴えたいことをしっかり聴けているか、をあえて顧みる必要がありそうです。そのためには、診察室のコミュニケーションの練習をするのが即役に立つでしょう。 皆様の病院内でも、コミュニケーションセミナーを開いてみたり、スタッフ同士でシュミレーションをしてみてはいかがでしょうか?失敗して良い安心な場で。 幸せの形は、人によって違いますよね。
では、動物にとって何が幸せなのでしょうか?これは、動物種に、そして個々によって全く同じものは何ひとつありません。 飼い主の幸せ、動物の幸せ、私たちの幸せ。それぞれが違う。違うのが当たり前ですよね。 価値観が違う同士が集まれば、思い通りにいかないこともあるだろうし、そしてまたそれが学びにもなります。 飼い主だけでなく、動物そのものの声を聞いて動物の幸せを考えるのも獣医師の仕事です。というか、むしろ、飼い主と動物の仲介役、それが日常である筈です。 ここで必要なWin-Winのセンスは、Win-winでなく、Win-Win-Winを考えることになります。 獣医師はコーチングといっても、少し高度ですね。 コーチングは、コーチングをする側にとってもされる側にとっても、より良い前進を起こすコミュニケーションです。 ですから、このセンスを身に着けると、コミュニケーションは円滑になります。だって、コーチと話しているだけで、コーチがそこにいるだけで、どんどん望んでいる結果が起こってくるから、クライアントにとっていてくれて嬉しい存在になるからです。 もし、獣医師がコーチングのセンスを持ったら、お互いにすいすいと望む結果(共通のものは、伴侶動物の健康など)が起こりやすくなるので、本当に良いでしょうね。 この、お互いにより良いことが起こるということを意図して話や行動をするのは Win-Winの法則ですよね。 獣医師と飼い主さんだけでなく、スタッフ同士、そして家族や地域社会とも、Win-Winを意識するだけで、私たちの人生の流れは急速に変化しますよ。ぜひ、意識してみてもらえると嬉しいです。 |
Author福井利恵 Archives
3月 2022
Categories
すべて
|