この写真は、イギリスでファームステイしたところで放牧していた羊さんたち。本当に広くて、一回りするので3時間くらいかかってしまった。 相変わらず、今日の記事には関係ないが、彼らは比較的自由に生きており、そして人間の存在もしっかりと把握しているようだった。農場にいつもいる人間と、違う人間が入った時の警戒の様子は、私は動物に「入らざるもの」と扱われた感じがあってショックだった。しかし、それもサバイバルの術。そうやって生き残っていくのだから。 さて、今日は医療情報の中で、説明してクライアントに診療に参加してもらうのだが、そのことについて。 わかりやすい説明とは、言葉の使い方と言葉以外のコミュニケーションが織りなす芸術作品である。 人に何かを教えるようになると、ツーカーてきなタイミングなどがわかってくる。
しっかし。医師や獣医師、歯科医師というのは、その専門を勉強するのがいっぱいいっぱいで、それを患者に伝える。そして、それを自発的に患者が参加するようになるというのは、2クッション上の話だ。というか、これがようやく教育で扱われるようになってきたのは、素晴らしいことだ。 動物病院の指導で飼い主のモチベーションが問題になるのは、投薬指導、食事指導など長期にわたるものだ。長期となると、色々と継続を阻害する要因が出てくるが、それをしっかり続けるためには、本人がその投薬や食事制限などの必要性を感じ、自発的な行動をとるようにならないと、長丁場は乗り越えられなくなってしまう。 人が自発的に行動するまで。。。 知る→興味を持つ→理解する→利点がわかる→欲しい結果と合意する→行動を起こす これは、ビジネスなどマーケティングに関わる人なら良く知っている法則だ。医療にもこれがこのまま適用できると私は考えている。 ここに、医療では、その人の人生、その周囲の人の人生にも影響するという深刻さが絡んでくるが、それはそれとして、いたって法則はシンプルなのだ。 これが説明する側が関与するのは、説明で直接作用させることが出来るのは、どこからどこまでだろう。。。 検査結果など情報提供→飼い主の理解を確認する→診療プランを立てる→実行・フォローアップ まず、「知る」ことである。私たち医療従事者は、検査結果や、そこから導き出された病名、そしてその病気がその動物の健康に与える影響を飼い主に「知らせる」ことが出来る。 その情報提供のし方によって、飼い主の知る程度も変わってくる。いかに知らせるか、がカギになる。さて、その要因をみてみよう。 0.ラポール この情報提供の前に、医療面接でラポールしている必要がある。担当者が変わった場合は、改めて関係を構築すること。 1.わかりやすいこと もちろん、わかりやすいことが大切だ。シンプルに説明をして、医療用語を使わないこと。相手の知識の程度をみて話すこと。言語コミュニケーションにもちろん非言語コミュニケーションが大切だ。たとえ深刻な説明をする場面でも、自信がないコミュニケーションはとらないこと。それは絶対に相手のためにならないから。そんなときこそ、アイコンタクト、表情など適切なコミュニケーションを心がけましょう。 2.相手の理解を確認していること 説明の途中で、「ここまででわからないところがありましたら、言ってください」など、相手が話についてきているかを確認すること。初めての話題で、特に大切なペットの病気の話になると、頭が真っ白になるものだ。ちなみに、私自身も、自分の飼っていた犬が病気になった時、獣医師に受けた説明のほとんどは記憶にない。ほとんど、頭に入ってこなかった。宣告された時のショックの体験は、子供のころの体験から大人になっての体験まで、全部覚えている。 3.更に、質問をするように勇気づけること 飼い主さんは、獣医師を「先生」として扱うので、こんなことを質問していいんだろうか?と質問をためらったり、初めて知ることなので、何を質問して良いかわからない状態があることが多いようだ。そして、次回やその後、説明をされていないとクレームに発展するケースも。もちろん、全者では、「初めて知る内容だと思いますので、どんなことでもお気軽にわからない点や心配に感じてらっしゃることがありましたら、仰っていただけると私も勉強になりますし、○○ちゃんの今後の診療の役に立ちます。」など、声をかけてみると飼い主さんも心強いだろう。 4.診療プランを提示し、自分で選択してもらう これもわかりやすくなければならない。それぞれの疾患について、コストや色々な情報から複数のプランを立て、選択できるようにすると、わかりやすい。問題は、それがひな形になっていて、ただそれを提示するような態度ではなく、あくまでも何のためにこの複数のプランがあるのかをしっかり理解したうえで説明する必要がある。そして、それらについて飼い主さんがどれを選ぶのが適切か、という選択のところも、客観的に、そして傍らにいて、相談にのりながらサポートをすること。そして、最後は飼い主に決定してもらうこと。大切なのは、獣医師がやり方を押し付けないことだ。主役は飼い主さん。私たち獣医師は、あくまでもサポーターという名のパートナーだ。 5.承認、感謝、信頼 詳しくは、別の記事を参照されたし。 6.フォローアップ 飼い主が診療参加を継続できそうかどうかを見て、必要に応じて、フォローをする。電話や通院、カウンセリング相談や手紙やメールなどを駆使して行うようにする。途中で飼い主が挫折しそうになっても、信頼し続けて、そしてフォローをすることが大切。根本のところでは、相手を信頼し続けられるかだけが、問題である。 今回の記事、あえて事例を入れないで書いていますが、ご自分の今抱えていることに引き当てて考えてみてくださいね。
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ちょーパンダは癒される。この写真は上野動物園でとったものだ。 そういえば、パンダを見てなぜ多くの日本人が癒されるのかというと、言葉でどのくらい表現できるのだろう。 地元の千葉市動物公園にレッサーパンダがいる。この子たちも見に行ったが、やっぱり本物の白黒のパンダの愛らしさには、叶わない。笹にかぶりついて食するその姿は、独特だし、うううたまらない☆ こういう何とも言えないものを表現する方法として、(昔からの日本の和歌の文化なども表現方法としては素晴らしく良いが、それは別にして)最近、「萌え」という言葉が(すでに死語だったりして)流行ったが、そんなふうに、日常使う言葉で表現しづらい「何か」を表現するのは、なんだかあの秋葉系の場所というのも、創作の場としてはとても良いんじゃないかと思う。 言葉といえば、さっぱり自分の子供の使うゲーム用語が理解できない。私自身はゲームに興味がないし、テレビもあまり見ない。だから、子供がゲームの話をしてくると、私はとても残念になり、子供とゲームの話を続けようと思わない。拒否しているのだ。これを子供はどのように感じているんだろう。そして、しばらくその話は途絶えるが、また何日かすると、子供がまたしても前回と同じようにゲームの話をしてくるのだ。 なんなのだろう、この子供のゲームに対するモチベーションの高さは。 そしてなんなのだろう、全く子供のゲームに興味が持てないモチベーションの低さは。親としての罪悪感を持ちつつも、子供に合わせてゲームをしようとかそれに関する知識を得ようとは全く思わない自分なのだ、ということに気が付くと、ふと顔を見せた罪悪感はすぐに手放せてしまう。(笑) きっと、この関係は今後も続いていくのだろう。 そして、子供とのこの関係をキープしていくのには 傾聴が役立つ。内容は理解していないのだが、ただ「聴く」ことは出来るからだ。最初のうちは、子供に「わからないな~ごめん」と言っていたが、最近は、オウム返しをしたり、いろいろただ聴いている。内容はともかく、感情の動きや色々なところを感じ取る練習になっている。子供はそれで「聴いてもらえた」感覚があって、以前より満足しているようだ。 うちには後期高齢者に最近なったお年寄りもいて、同じことを何度も言ってくることが多くなった。 そして、それをただ「聴く」というのも、立派な傾聴トレーニングになる。どうしてただ「聴く」のが良いか、それは介護などされている方ならわかるだろう。。。最初のうちは戸惑ったが、もういい加減に慣れてきて、ではどうすれば相手にとって一番良いか、を考えることが出来るようになってきた。 ようは、相手と自分の間の共有時間、心が良い状態が保てるかどうか。少しでも、上を向けるだろうか。 これが理屈を超えたコミュニケーションなのだ。 日常でふつうにやっている人はそれで素晴らしいし、こういうことは経験なので年配であるほど出来るものだし、人とかかわりを持てば持つほどわかってくる。日常で心を聴くことをやっていないなあと自分で思う方は、とにかく一度は試してみてほしい。どんな感じがするか。相手を良い悪いと判断するのではなく、ただ命の存在として尊重し、共感してともにいること。 心の状態が良いことが、自分と相手の人生の一日を創る。 良い状態をキープ。そして沢山笑う。心が元気になる。 そうすると、やる気も湧いてきやすくなる。 そんなことに気が付いている相手と、会話をすると、みんな元気になるし、やる気も湧いてくるのではなかろうか。 よし、今日だけは、共感的な一日を過ごそう。^^ そうそう、昨日、「癒しの環境研究会」の高柳和江先生からお聴きしたのですが、 一日5回心から笑うと健康に良いそうですよ。早速実践させていただいております。感謝。 この写真は、ちょっとぶれてますが コロラド州立大学に研修を受けにいったときにとった写真。なんかあんまり車が通らないんだけど、意味あるのかなあ、と思ったのだ。。。 今日の記事の内容とは、まったく関係がありませんが、着ぐるみの色も日本に比べるとちょっとはでというか、原色そのまま。文化の違いを小さなところで感じてしまう自分だと思う。 そうそう、今日は「やる気の器」というお話。 やり方がわかっても、やる気がなければ欲しい結果は得られない。 これは真実だと思う。どれだけその結果がほしいと願ったか、がそのまま現実になるというものだ。よく「思考は現実化する」という。この時、結果が欲しくなければ、その様を描くことが出来ない。だから、結局は、どれだけ願うか、というところにある。
最近私は、本当にほしい結果のことは、反対しなさそうな人に話しまくっている。 (ちなみに反対する人は「ドリームキラー」とも呼ばれ、その人に話すことで、夢を諦めてしまうことが多い。多くの方が、子供のころの夢を、「あんたには無理でしょ~~」と親に言われ、いくつかのことを実際に諦めたことがあると思う。) 何度も、何度も、人に欲しい結果をシェアすることで、そのことが現実化して良いように、自分の頭に言い聞かせている。願いを言葉にすることで、どんどんそのことが現実化していくような気がする。 欲しい結果について他人にシェアをすることで、まず自分に言い聞かせる効果がある。 そして、第三者からのフィードバック、もしくはゴール達成へのヒントをいただけるのだ。これはなんとも素晴らしいギフトである。ゴールへの切符がもらえたりするのだ。ちょっと恥ずかしいのもあるが、本当に欲しい結果ならそれくらいのことは黙って手放そう。 そう、ここまで書いて、重要なのはやる気の器となる「シェアをする相手」ということになる。 相手によって、ゴールを達成しようという気持ちが強まるか、全くする気がなくなるか、この二通りに分かれるからだ。 次回はこの相手の要素について書いてみたい。 やる気があったって、やり方がわからなければゴールは達成できない。というテーマについて。。。 そうそう、やる気があっても、ゴールまで到達する方法を知らなければ、ゴールにたどりつかないのだ。。。
これは、つまり、やる気があったとしても、「やり方がわからない」といった漠然とした不安がつきまとい、ゴールへ到達しずらくなってしまう。到達する前にモチベーションが下がってしまう。 これを回避するには、成功した状態を明確にイメージし、そこまでの道のりをシュミレーションすることだ。どのようにそこにたどり着くか、を徹底的に考察する。そして、その時点で考えられる障害に対してどのような対応策をとるか、も決めておく。ここまでして、成功した状態が可能と思えることで、それが出来ると脳にインプットされるのだ。。。 また、プロセスごとに自分の位置を確認し、そこからゴールへの道順を再確認し、行動を重ねることで確実にゴールへの距離は加速して縮んでいく。 このことがどんどんと人をやる気にさせ、更に行動を加速させるのだ。。。 結局、「自分が何がしたいか」が明確になっているかが一番大切である。方法は、一度本気で検討してみたらわかると思うが、いくらでもある。最初はやり方が問題と思いがちだが、やり方が問題なのではなく、実のところは、自分のあり方だけが問題なのだ。 人を教育するときのお話しです。 ある方Aさんから、こんな相談を受けました。 「前回雇用した女性の方が、仕事がつらくて、別の職場へ移ったのですが、彼女がいる間に何かもっと仕事をつらいだけじゃなく、してあげられることがなかったか、今後の参考にもしたいので、考えてみたい」 具体的にいうと、3名の女性従業員が登場します。 一人目の方が育児休暇をとったため、その2人目の女性は突然その職場で働く話が持ち上がり、くることになりました。 この二人めの方は、一人目の方に比べて、容量が良くなく、うまくいかないことが多くあったそうなのですが、Aさんはその方が自分の体と心で仕事を覚えていく必要があるのと、ほうっておくと彼女が楽な方向へ流される質があると感じたようでした。 よっぽど誰でもわかるような事務作業で本人の仕事がまわらなくて困っているということでもなければ、本人に必要な経験をさせることはとても大切なので、つらい想いをしているとは知りつつも、あえて助け舟を出さずに様子をみていたそうです。もちろん、それは見ようによっては、厳しく見えることもわかっていたとのことです。 結局、その2番目の方はつらいのを理由に、辞められて他の仕事を見つけたそうです。 ①では、この2番目の方にとって、Aさんの職場での辛い仕事はどんな意味があったのか、 ②相談者の方にとって、この2番目の方とのことを反省することによってどんな効果があるのかを見てみましょう。 ①辛い仕事を経験するということはどんな意味があるのでしょう? もちろん、つらいというのは、自分の今まで構築してきたパターンの仕事とは勝手が違い、うまくいかないこともあります。最初から畑の違う仕事でうまくいくわけがありませんから。 未来の視点からすると、その仕事とそしてその時の環境での体験は、この方にとって必要な経験になります。辞めてしまう方、たいていその体験した時期には、この辛いという経験をネガティブに考えてしまう傾向がありますが、それ自体も、本来は存在しないことに、個人が勝手に意味づけをしていることになります。今、新しい職場で彼女は元気に自分の能力を発揮しているそうです。 ②相談者の方は、この方が辛い時も、お世話をするつもりは全く起こらなかった。と言っていましたが、結局結果として彼女が職場から去っていってしまったことで、「その時の自分がもっと他にすることで、彼女がもっと仕事をつらいだけではなく、楽しむことが出来たのではないか」ということをおっしゃっていました。お聴きすると、そのお互いに痛い思いだな、と感じたのは、彼女が「つらい」と言った時も、かわいそうだなと思いながらも手伝いをしなかった時のようです。 これ自体、何も問題がないのですが、もし今後違いを作れるとすれば、ここのところで、「ただ一緒にいてあげる」ということが出来たかもしれません。それ自体は、つらいときにも、上司が一緒にいてくれるという感覚を得ると、勇気や元気が湧いてくるし、人とのつながりで結果は作られていくのですよね。。。 そして、その後新しく入られた3人目の方には、それを踏まえて、その方の個性、適性を認識しながらゆっくり育てていかれているとのことで、結構うまくいかれているようでした。 相談いただかなくても、しっかりと意識が必要なことをとらえ、シフトしていらっしゃるようでした。 ただし、二人目の方を「かわいそう」と思った経験と彼女が去った体験がつながって「痛いもの」になってしまっていたので、そこの意味づけを手放し、承認させていただくことで、ご自分のとられた行動が良かったのだと認識すること、そしてご自分の今の方針がこれで良い、と認識が出来たようで、良かったです。 もし、二人目の彼女に再度会う機会があったなら、「今」の彼女を承認してあげると良いですよね。「今、どう??・・・いい感じだね。」という感じで。 過去への意味づけ。。。そして人との関わり方。。。 そして自分のトラウマを解消して、良い状態でお仕事しましょうね♪ 平成25年1月2日 福井 利恵 |
Author福井利恵 Archives
3月 2022
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