大きな病院で働くスタッフは、組織の歯車として機能しなければならない点がある。これはもちろんなのだが、今日はちょっとした配慮で救えるかもしれない、動物の命と、飼い主の心のお話です。 先日、友人から大学病院へ行った時に、愛犬の難病を告げられたという大変ショッキングな体験と共に、それを10人以上のインターンの若い獣医師か、学生が後ろにずらっと並んで、メモをとっていた。。。とても屈辱的な気持ちになり、それ以来、大学病院にいくのが毎回辛かった。毎回、毎回、愛犬がモルモットみたいな扱いを受け、傷つく感覚を体験し、そして、最終的に大学病院での治療を辞めた理由は、大学病院への不信感からだった。もうこれ以上、愛犬に、人目にさらされる、実験台のようなことをさせないために、行かない決断をした。という話を聴いた。 どうも聞いていると、同業ながら恥ずかしくなってしまうが、獣医師どうしの見解の違いや人間関係の端々の良くないエネルギーにクライアントや動物を巻き込んでいるようだった。これは技術的には最高でも、クライアントの満足度としては最高の獣医療ではない、ということだけは確かだったようだ。 そして、きっと大学病院側では、「大学病院は研究・教育施設だから」ということを理由のひとつとして言ってくるのだろうが、昨今動物医療コミュニケーションを取り入れる時代になって、それは理由にならないだろう。獣医師の意識レベルを上げる必要がある。 ・・・ではどうしたら良いか?私に泣きついた友人は、一応大学病院の役割的なこともフォローとして聞いてくれた上で、こう言っていた。。。「忙しいとか、学生の勉強とか、そういうのはわかるのだが、それなら学生がいる、ということを先に言ってほしかったし、シビアな話をするときは、ショックを受けることが予想されるならば、人目になるべく触れない配慮をしてほしい。後ろのインターンに見られているのが気になって、健全に悲しむことすらできず、余命宣告をされたのに、涙すら出なかった。」 当たり前だと思うが、その配慮が出来ない獣医師、配慮がされない組織、そこで学ぶ学生・・・私は正直、目も当てられない。 本当にクライアントに配慮のある動物病院では、カウンセリングルームもしくはそれに代わるプライバシーに配慮した談話する場所が設定してあるはずだ。ないところはそういう場所を今すぐにでも確保してほしい。間違っても、待合室などで命に係わるプライバシーな会話がされることがないように配慮したしたほうが良い。 一度クライアントがショックを受けてしまってからでは、獣医師・クライアントの関係に修復不可能な傷が入ってしまうことがある。結局、友人が愛犬を難病で亡くしてからも、そのことが悔しくて、その思いが残っているというのは、クライアントの人生に大きな影響を与えてしまっている。これは、現状の動物医療側の大きな問題点であるということを、私は提起したい。 今後の動物医療コミュニケーション教育に大きく期待したい。関係者の皆様、どうぞよろしくお願いします。
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Author福井利恵 Archives
3月 2022
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