お子さんを育てている方いらっしゃいますか?
昨日シュタイナー学園の 親御さんの勉強会に行ってきました。 そこでとても勉強になる話を 聞きました。 ルドルフ・シュタイナーの教育の 根本的な考え方は、 子供の成長に応じて、 必要な教育を、 心、身体、魂のそれぞれに合わせて 与えていこう、というものです。 シュタイナー教育では、 子供は9歳から10歳まで 第二次成長が始まるまでは 自分=世界だと感じているそうです。 主に私たち大人がわざわざ勉強する 「共感」の中で生きています。 その後「自分と世界は違う」 という感覚を持ち始めます。 それ9~10歳以降中学生 そしていわゆる親離れの時期です。 その後、私たち大人が混乱し 一緒に「世界=自分じゃない」 ということを子供に叩きつけた後、 子供大人になってからも自分探しを し続けなければいけない世界、 それが今の私たちです。 「自分探しをしている私たち大人」 それが今の世界を作っているのです。 未来の地球を担う子供たちに、 私たち大人ができることは何か。 それは自分=世界であることを思い出し、 それを子供たちに伝え続けることです。 自分=世界であるということに 気づく。 そしてそれを生きるという事は、 「自分自身を生きる」ことに他なりません。 自我の目覚めのために、 いちど「分離を体験する」というのは とても大切なことです。 ただし、子供たちの成長期に関わる 大人が、このことをわかっていないと、 子供が安心して 「自分と世界が違う」を体験・学習することが できないのです。 「自分=世界」と言うのは大前提として、 私たち大人が子ども達と接することで、 子供たちが安心して 世界の仕組みを冒険することが できるのではないでしょうか。 子育てでお困りの皆さん、 子育ては思ったよりも、難しくないですよ。 そして、大人がどうあったら地球のために良いのか、 「自分らしく」生きる世界、 それこそが明るい地球の未来へつながっていきそうです。 今日もお読みいただき、ありがとうございます。 ご縁に感謝いたします。 アリーシャ
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ずっと
対応に悩み続けたことがありました。 それは、ゴシップ。 職場やコミュニティで発生するゴシップに どう、対応しよう。 ゴシップを言う人をみると、 あまり良くないから、やめようと伝えてみたり ただ場をやりすごしてみたり そうすると、自分の後味は悪いんですけど、ね。(≧∇≦) スピリチュアルな方々のよくあるご意見は そういう人に、関わるな!て言うんですけど、 関わるなて、無理やん!ということもあり、 結局最近ひとつチャレンジしてみようと思ったのが、 「ゴシップに思いっきり乗ってみる」 これを早速やってみたんです。 一緒にゴシップする覚悟で、話を聴いてみました。 そうしたら。。。 沢山のギフトが降ってきました! ゴシップを言う人が、ゴシップを言うのをやめたんです。 すぐ、終わり。 えーーー 何、それ。笑 これって、自分が傾聴出来てなかっただけじゃん。 「自分は正しい」 「自分は同調しない」 というビリーフを、前面に出して、 自分を正当化してただけだったんだ!! あー、またやってました! それも、飲まれるのが、怖いからでした。 そうしたら、色々と気がついてきて、 みんな、自分の存在を受け取ってほしい。ということ。 コミュニケーションて、究極それだけなんだな、て 気がついたんです。 ある日、動物病院で、入院になった犬が、夜、わんわん、わんわん、わんわん、なくんです。
おはようございます。
アリーシャです。 昨日、海で半日お昼寝してました☆ 癒されましたよ・・。 今日のテーマは 自分らしいってことなんですけど 最近、「自分らしく生きる」て キーワードみたいに流行してますね。 映画「あなゆき」が流行って 言葉自体が言霊として 世界に流行するのは素晴らしいんですが、 「自分らしい」というのが 一体どんな状態なのかを利恵さんは想像できますか。 そもそも、「自分」が どんなものなのか、 知っている人って どのくらいいるんだろう。 昨日、久しぶりに海で 半日ぼーっとすごしました。 ヨガマットをひいて、 バスタオルでお昼寝。 合間にストレッチ、ヨガ、氣功をしました。 ほんと気持ちよかったです。 それでですね、ここのところずっと、 私なりに「自分らしく」 やっていた つもりだったんですね。 幸せ!順調!快調! 生きてるって素晴らしい!!て。 それが、ちょうど私のプロジェクトを 海にでも行って練り直そうって 思っていたら、 なんと、 自分の「アニマルレイキ協会」 の仕事を 進めることがおざなりに なっていたことに 気がついたんです。 予定では、9月には、 0期生を募集開始しているはず。 がーん。。。 他のプロジェクトは、 多少進みが遅いものの、 進んでいます。 パートナー、書籍出版、自分のブランディング、飼い主心理学講座・・・ (↑これくらいのことは、サポートできますので、セッションご希望の方はいつでもどうぞ) しかし、自分の 「アニマルレイキ」が おいてきぼりになっていました。 (汗) しかも、0期生は、 獣医さんを 募集することになっていたので、 その構想にも、実は、 「避けたい」(人前に出るのが嫌!!) という自分がいたことに気がついて。 それで、本当の「自分」は そこなのに、 それでも他の一見花形に 見えたことでさえも、 それ自体はよい悪いと いうことでもなく、 自分自身が本当に やりたいことを避けるために 使っていた部分が あったと知ってしまって、 ショックでした。 「順調・・!」と変なテンションが かかっているときは、 注意が必要だって 過去何度も体験してきているのに、 事態はどんどん巧妙になっていきます・。(笑) ただね これは、どうしようもないことなんですよ。 自分自身が気がついているときって、 この社会にいて、他の人の価値観、 集合意識の価値観に触れながら、 ほとんどありません。 この情報洗脳の中、 独立した自分自身を キープし続けるのって、 私無理だと思います。 だからこそ、自分自身に還ることを 定期的にする必要があるんだと 思っています。 今日も、午前中海へ行ってきます。 自分自身に還るために。 (やることいっぱいなんですけどねーーー、「軸」をしっかりとすることからですね) 私にも、メンターがいます。 そういうつながりが、 やはり大切だって気がつかせてくれます。 感謝。 お知らせです!! アリーシャの個人セッション、 概要が決まりました。 本物の「自分」との現実ダンスに ご興味ある方は、どうぞ↓ 月1時間1・2回の会話(リアルもしくはスカイプ)とメールし放題、5万円 ×3か月で自分変容 あなたの実現したい自分へ変容するのをパートナーとしてサポートいたします。 生きる感覚、周囲(パートナー、家族、友人、ペット)との関係ががらっと変わります。 ぴんときた方は、ぜひどうぞ。 まずは、オリエンテーションします。(こちらはお試しなので、どんな内容でもOKです) 詳しくはこちら http://www.reservestock.jp/page/reserve_form_week/5413 おはようございます。
私は今まで多くの動物の死に立ちあい、 人と動物の色々な関係をさまざまな局面からみてきました。 犬猫しかり、経済動物の豚や牛、そして馬もです。 犬猫に関しては、 人間のほうが依存症の傾向があります。 一対一もしくは少数の犬猫と暮らすことで 一人で生きているのとは違ってきます。 何を持って依存と言っているかというと 自分の中をみない代わりに 動物をみて、あれこれ問題を現実にあらわし、 自分自身をみることをしないということです。 豚や牛は、経済の観点から動物をみるので、 「命」に関しては、経営者の考え方がダイレクトに反映されます。 それが動物の飼い方に現れるのです。 ひどい飼い方をしても、やさしい飼い方をしても、 出荷するということを考えると 同じだからです。 馬にかんしては、 人と馬のパートナーシップが 競技の成績に表れるのですが、 優しく良い関係だからといって 大会で優勝するのではなく、 馬をムチで無意識にたたいたりすることを 見ていて「ひどいなあ」と思うこともあります。 これらも、すべての問題が同じことに起因しています。 「自分を見る機会を、動物の問題に転嫁している」ということです。 子供のころからずっと 動物と暮らしてきました。 結局大人になってさまざまな動物との問題をすごしてきて感じていることは 人生とは自分とつながってなんぼで 動物は常にそれを私たち人間に伝えるために 「鏡」としての役割をしてくれています。 自分自身をみないで 「動物」に問題を転嫁することで 私たちはどれだけ 生きることを楽にしてきたか ただ、時代が変化してきています。 昔大丈夫だった西洋医療では 理由もなく治らない動物たち 飼い主の心が反映されてしまうことが わかってしまう現象 アニマルコミュニケーションという 新しい分野 私もいわゆる西洋医療では限界を感じ 養豚農家との人間関係を構築するためにはじめた コーチングの勉強で 自分の持っていたいわゆる価値観がなしくずしになり 離婚・解雇・その他現れたいわゆる世界を救うためにしてきたプロジェクトたち これらを解決しようと取り組んできた結果 どうして人は生きているんだろうと必死に考えてきた結果 「子供がいるからなんとか生きている」 「動物たちを救うために生きている」 となんども自分の「生きる」ことに関しての理由づけを一生懸命していた時期 パートナーに関しても いる時期はいる時期で悩み いない時期はいない時期で「パートナーがほしい」という なにが言いたいかっていうと 「自分自身」が現実とつながって確立されていないと 結局うまくいかない 多くのペットの飼い主の中にあることは ペットが亡くなったことを考えて「不安」になる その「恐れ」が今にさまざまな問題を引き寄せる そんなことが動物を飼う方に沢山起きています。 ほとんどの問題が自立をしていないことに起因しているようです。 私は今回決めました。 自分らしく生きることで、 動物とハッピーな関係を、新しいパートナーシップを創作することができます。 動物との関係をバージョンアップすることができるのです。 それをしたい方がいたら、 応援することにしました。 「アニマルコーチ アリーシャメルマガ」 のメーリングリストを創りました。 自分らしく生きて、自分も家族も動物たちも、ハッピーに、今回の人生を送りたい方に、動物業界の現実の動き、コーチングセッションのご案内などをお送りします。 一度書いた記事をアップ寸前に、全部消えてしまいました(汗) 相手を「こんな人間だ」と勝手に解釈をして、決めつけて、自分の価値観の箱に入れ込むことが、相手を追い詰めます。 今日は自分が追い詰められた体験があったので、シェアしてみますね。 今日は、私は自分の母親にお説教をされました。 なんでも、兄が先日帰ってきたときに、私のことを「食事のときに気分を悪くさせる」「大学生のころは、もっと生き生きして、モテたのに、生き生きしてない」「9年のブランク(結婚時代のことらしい)がそうさせたんだ」と言ったのですが、私は普段、できるだけ父が気分良くなるような言葉を使ったりやってるつもりなんですが、ひとりいつもいない人が来ると、さすがに気をつかうでしょう。そういうタイミングで、勝手に人のことを評価し、それを母に伝え、またそれを聴いた母が解釈して、理論武装し何か言ってくるっていうのは、小さな箱×小さな箱で、わあ、箱入り娘に逆戻り? まあ母なりの私にモノ申すまでのストーリーもあったのだろうと推察する。 (爆笑) 自分で、自分のことをどんな人間だと思っているのか、というのが明確に最初にあると、この現象をどうにかすることができます。 自由人になってから、箱に入れられちゃうと窮屈で、もういられないもん(笑 まあ、彼らは私のことをみて、自分を映す鏡として言ってきているわけで、私自身には彼らのことは関係ない!とすることができます。また、「自分がどうなりたいか」ていうことだけが大切なので、外側からいただいた言葉を参考に、自分の目標達成への道具としてかしこく使うこともできます。 つまり、ここでいうと、「そうなんだー。モテモテの素質あったんだ!!もーそろそろいいかなあ。」と自分に言い聞かせることで、モテモテ度アップの道具にできます。 でもねえ、小さな箱に入れられちゃうのは嫌なので、それを受け入れると、自己表現どころではなく、自分を周囲のために自分じゃないものに変えて、自分の人生を他人にあげてしまうくせがついてしまう可能性があります。 ここでいうと、「私、そうなんだよ。シングルマザーだから、大変で、生き生きできてないんだなーーー」と思いこんでしまうことです。こんなことしても、人生楽しくないですよね。ですから、小さく扱われた感があったら、「No!」と伝えておいたほうが、良いと思います。 一応、母にも言っておきました。「ちょっとーーそんなん扱わないでよ、自分らしくいさしてくれてないし。ほんとかんべんしてくださーい。」 こう言えるようになってる自分が面白い。 相手も、たいていの場合、こちらのためを思って言ってくれてる場合が大半です。 あーーー、あなたは、そう感じるのね。という程度で、 自分に関心を持ってくれてることに、感謝するのが一番お得なコミュニケーションの仕方だと思います。 しっかし、自分が追い詰められると、 これは私がやってるってことなんだろうな、というか、やってたぞ!と自分を顧みる機会になります。(汗) 注意しようと思います。^^ はーー、学びですね♪ 感謝です。 ゴシップとは。 コーチングではいろいろ習ったんだけど具体的な内容はここでは書けないので まあ、今私が感じている「ゴシップ」をひとことでいうと、 つまり、「自分に関係ないことを人に言うっていう」こと。 そして、世の中の大半が、このゴシップが占めていると言っていいかもしれない。 自分を主体として生きないこと。 自分が主語じゃないことを、人に伝えても、自分がほしい現実は起きてこない。主体が自分じゃないから。だいたいこういうことをやっている人は、自分に自信がないことから、不信感が生まれ、ついやってしまうのだけど、そのことがどんな現象を引き起こす可能性がある迷惑なことかっていうのがわかってないのは恐ろしい。 ゴシップがまん延した組織は続かないという。 いくつかの現場をコンサル時代に見てきたが、やっぱりゴシップのコントロールは難しい。トップがゴシップのことわかってなかったりするし。 本当は、みんな自分のことをもっと見て、大切にして、表現するべきだ。 人のことより、自分のことをみて、どうしたら良い結果が出せるかに集中したほうがずっといいと思う。 それなのに、自分を見ないために、他の人のことを持ちだして、それを話して評価したりする。これはゴシップする本人にも、ゴシップをされる相手にも、意味がないことだ。 その現象に対して、自分がどう感じたか、を話すならば、「自分が主体」であるので、まだいいと思う。 自分が自分をみたくなくなると、人はそれをごまかすために、他人のせいにして前進を止めることがある。これは私もよくあることで(だって○○が~~とかいってる時点で)だれでもあることで、人の話でごまかすのではなくて、 「今、ちょっときついわー、休ませてちょーだい」って言えたほうが楽だわ。 今考えると、あ~~~恐ろしい。 良く見られるパターンのひとつとしては、 目の前の現象から目をそらすための格好の道具が、「ゴシップ」だってことだ!! つづく。 今日は、 自分を認識し、行動している自分をつくりだし、観察している「本当の自分」視線から考えてみます。 「あれれれ? なんか違うぞ、これ。 私が望んでいることじゃない。」 自分自身からの、修正のサインかもしれません。 このとき、相手に合わせたり 相手に求めたりするのではなうまくいきません。 自分自身によくきいてみることが大切です。 自分自身に正直に決断を下すのは、 早ければ早いほうがいい。 そして、その決断は、 愛に基づいていることが、大切。 これは私が昔コーチングを学んでいたころから よく先輩コーチに言われていたことですが、 このことの大切な意味を 最近 改めて 実感しています。 自分をとりまくものとの関係性を断舎利することで 得られる新しい関係がありますし 新しい前提の自分がはじまります。 全部、自分がつくっている世界なんです。 見ている相手も、全部自分バージョンです。 成長とは、自分バージョンが変化することをいうのだと私は考えています。 相手のバージョンに合わせている時間があったら 自分のバージョンを高めましょう。 どんな学問も この世界を生きるための手段でしかありません。 世界が変わってしまえば、 そこに執着しなくても 自分自身を生きることができるのですよね。 プレジャーコーチングでは セッションにて自分の人生を生きるお手伝いをさせていただいております。 コーチングセッションはこちらまで [email protected] 依存してる人に対応できないのは 自分の中の依存する人格にNo!ていってることになるのかもしれません。 (依存状態は、別に被害妄想に陥っているつもりがなくても、 深く見てみると子供は親や学校に依存していたり、 大人も親離れできていなかったりするので、 ある意味深い意味、だれでも持っている部分なのですよね。) つまり、自分の力量の狭さを公開しているようなものですね。 コーチングの場合は、クライアントを直面させてっていう ところもあるので、 その場合はまずやっぱり カウンセリングなどで傷をいやしてからっていうことで やったほうが効率的っていうのは、 わからなくもないんですが 結局コーチも学べば学ぶほど、その必要性は 出てくるのですよね。 自分にあったクライアントさんと出会うわけだし。 コーチやカウンセラーの家庭は学びに合った出来事が勃発しています。 それは、神様がくれる試練というか、人生の学びの機会なんですよね。 だからコーチやカウンセラーの力量はどんどん深くなっていくわけで、 それはこの仕事をしていると周囲の仲間はそんな感じです。 そうすると、どんどん問題の大きなクライアントさんを扱えるようになってきますよね。 これってどんな心理セラピーにも言えることで。 「依存」ていうのをどこまでの線引きで受け入れるかってこと どこまで引き受けるかって決めること 自分のものじゃない部分は、ほかの人に任せるとかしないと 関係ない人が入ってきちゃったりして ひえーーー こわっ 超共感ワークだね。 「どんな自分もOK」 人の心をみる仕事は大変だ。 もちろん、学びにはなるわけですが、 みんなそれぞれ カウンセリングする側もされる側も コミュニケーションする側もされる側も 相手にどこまでオープンにするかを決めて、 一瞬一瞬でそれは決まってくるわけで あんまる無防備で 扱えないと、結局相手の迷惑になってしまうわけで。 書いていて、私もちょっと心が痛いです。 一句湧いた~~。 三次元 どこまでいっても 制限付き そこが面白いのだ 地球人生活(字余り) もっと書きたいほかの観点も湧いてきたけど、長くなってしまうので、またこの辺で。 「世代脚本」 その人が、だいたい6歳くらいまでをどのように過ごしてきたかで、その人の人生が決まる。といわれているそうです。人によるその脚本の違いは、顕著に食べ物に対する姿勢に現れたりします。 うちの父は、食べ物を見ると、ほとんど関係なく食べてしまいます。アイスクリームのなくなり方が、尋常ではないし、食事を済ませたあとでも、何か食べ物が出てくれば、ほぼ必ず食べます。 そして、いい年をして、「これは、おれが買ったんだ」と言い張ります。 食べ物への執着がすごいなあ、と思っていたのですが、ここ最近、年をとってから更に顕著になったと思います。先日、知り合いのNLPの先生とお話して、「世代脚本」というお話をききました。 父は、満州で生まれ、日本に帰国してからも食事を確保するのが大変だったと聞いています。きっと本当に苦労したんだろうな。と思います。 一方母のほうは、農家で育ったので、いつでも食べ物には困らなかったそうで、食事は食べ切れなくて残すのが普通、幸せだったと聞いています。だから食べ物に対する執着がないのです。。。 そして私は、4人兄弟の3番目、母は必ず平等に食べ物は与えたので、困った覚えがありません。 そしてうちの子供は、飽食の時代に生まれました。食べ物にあまり興味がないというか、あるのが当たり前で、更に好き嫌いがはげしいですね。。。(ここは玄米などで改善中です) このように、その世代に沿った「人生の脚本」があるのですね。 これだけ「食べ物」への関わり方が違うって、世代によっても家族の中でも違う人生を生きているということになります。 病院や動物病院や、もちろん一般の仕事では、様々の年代の方と知り合います。また、人の病院だと、ほとんどを高齢者の患者が占めることになります。食事指導ひとつにとっても、その人の人生観などを考慮したコミュニケーションは大切になってきます。 先日の学生実習で思いましたが、高齢の方がどのように若い世代の行動を感じるか、というのは医師や獣医師のほうが認識しておくことは必要です。そして医師の言葉がけによって、患者がうつになるかならないかを左右するほどの影響力を持っていることを認識し、ジェネレーションギャップに立ち向かえる医師、獣医師になっていくことが必要な、シビアな時代に突入していますね。 さて、今年もあなたらしく。そして、関わる人々を、その人らしくいさせてあげることを念頭において、一瞬一瞬のコミュニケーションで出来ることをしていきましょう。いつでも、愛とともに。 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 平成26年 1月 コーチ 福井 利恵 お金についてこうして自分の中にあるものをアウトプットしたり、していると、周囲に私自身が投げかけた問いの答えもしくはヒントになることが、現れるようになってきます。 もちろん、お金というものを通して、自分がお金とは違う前々から気になっていたことの答えなども、その中のひとつです。 私が自分らしく生きることを決めて、それを生きることをうらやましく思われる方がいるようですが、そういう方が同じように一歩を踏み出さない理由のほとんどは、「お金」、つまり、生活の保障です。 お金って、生活を保障するものでは、ないとおもうのですが、ほとんどの方が自分の時間をお金に交換しているところがあるのではないかと思うのです。 私が得たい「豊かさ」とは、自分が自分の身を切り売りしないで、自分自身が豊かになり、相手も同時に豊かになる。そんな創造の状態をさしています。対価を受け取る、という言葉の意味がいわゆる時間給とは違うことになります。 さて、先日、友人が私がこのブログでお金について探求していることを知って、とんでもないアドバイスをくれました。彼女も、ご自身の師匠からの言葉らしいのですが、「日本人はお金についてネガティブすぎる。いいかい、こう考えればいいんだよ。正規の料金をいただくことで、無償の仕事をすることが出来るんだ。ボランティアや、自分が助けたい人へのただの仕事が出来るようになるんだよ。生活にお金はかかるのだから、もらっていいんだよ。」 ・・・という内容だった気がします。違っていても、私の中に聞こえたのは、こんな内容でした。 それを聞いたときに、本当に嬉しかったんです。 そうか!!どんどん受け取っていいんだ。受け取ることで、もっと人や動物、地球に貢献できる!もっと成長出来る!!と腑に落ちたのでした。 ありがとう~~~~~~!! こうして、自分をアウトプットすると、しっくりくる答えが見えてくる。 これは、その波動を出しているので、同じ波動が引き寄せられてくるのです。 そして、もうひとつお金に関して、行動を起こすことを決めた私です。 実は、母に一昨年通った大学院研究生でいるための学費をお借りしたままなのです。 「私ってまだ親のすねをかじったまま返せないでいる・・・」という状態から、 何年かかるかわかりませんが、今月から返金をはじめることにしました。 自立へ向けて・・・Go!です。 続きます。。。 ※後日談:本日、母に最初の1回目のお金を返金しました。 ひとつ、大切な一歩を踏み出した気がします。大学院へ行ったときのことを思い出したりして・・・結局1年いってやめちゃっていますが、人生としては、無駄ではなかったな~と思っています。さて、これから何が起こるか、どんな波動の自分になっていくか、が少しわくわく。楽しみです。 |
Author福井利恵 Archives
3月 2022
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