動物医療コミュニケーションの基礎1です。 まず、診察を始める前に、動物や飼い主と診察室で出会った時。 自己紹介をします。 自分の名前を、いいましょう。できますよね。 いや、なぜこんな当たり前のことをあえて書くかというと、 実は、獣医さんもお医者さんもそうなのですが、 自分の名前を言わずに診療を始める方が多いです。 クライアントさんは、自分のかわいい子をみてくれる獣医師が誰なのか、 ???と思いながら診療の場にいますww。 大変失礼なことですし、獣医師側は気がついていなくても、 このことにより、 とてつもない無駄な不安を抱えてしまいます。 再診でも、自分の名前は軽くでもいいので伝えましょう。 挨拶は何回しても、変だと思うのは自分くらいで、相手は安心しますよ。 獣医師が何人もいる病院では、忘れる人もいます。 通常飼い主さんは、緊張して、混乱していることがほとんどなのですから。 ちょっと自己紹介をしてくれるだけで、クライアントに与える安心感は、すごいです。 あとで病院に連絡したときも、担当した獣医師の名前を、ぱっと言えるのと、 「ええと・・・なんて先生だったかしら、たしか男性の・・・」というようなことがるようでは、全く違いますので。 これは結構困っている方がいるので、 「自己紹介をする」 ぜひ取り入れてみることをお勧めします。 実は、わたしがよく 先生のお名前を忘れてしまうので・・・駄目押し記事でした^^
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獣医師として、畜産に携わったこともあり、小動物にも多少関わっていながら、この動物医療、人の医療に対しても日頃からいろいろと思うところがあります。
私は、今家庭菜園で小松菜、きゅうり、トマトを育てています。 ・農薬を使わない野菜づくりは難しいです。今日もきゅうりの葉に早速穴が相手いて、葉をめくると、ひょいっとコガネムシが顔を出します。お互いに無言で、コガネムシはバツが悪かったのか飛んでいってしまいました。 農薬は使わなくても頑張れば野菜はできますが、こうして毎日手をかける必要があります。 意志の力、ヒーリングの見えない力を使ってうまく他の虫や雑草たちと調和していく方法を実践しています。とはいえ、虫はとるし、重曹水をかけたり、毎日工夫を考えます。 植物が育つには、水とミネラル、太陽光が必要。風と土。それが、木となっていきます。これが本来の生命力の創出です。たとえば、竹はその生命力で一年で一気に高くぐんぐん伸びてしまいます。 今の野菜は、自然には育ちません。虫食いや病気が蔓延してしまいます。これは、タネの持つ強さや、周囲の虫たちの分布にもよるでしょう。抗生物質やワクチンを与えている、家畜に似ていると思います。 人間も、植物部分と動物部分が合わさった生き物とシュタイナーはいいました。 ですから、動物も、植物と同じ部分を持っていると考えることができます。 植物部分が呼吸をして、それが酸素を運び、運動性にします。 その、生命力の起源は、五行の木火土金水、です。 それをもって、化学薬品をとったりして、自然じゃないのは、人間も動物も、植物も、やっぱり遺伝子的におかしくなっていくような気もする。生命力もなくなっていくでしょう。本質的なところから、人間も愛玩動物もともに離れていってしまいます。 すでにそういうことをすべて避けて生きていくのは難しいでしょう。 でも、獣医師だからこそそういう大元の自然な概念は持っていてほしいです。 自然と触れ合うということを忘れないでいただきたい。 東洋医学や自然療法もただ受動的に学ぶだけでなく、実際に自分が自然から教わる、とういうコミュニケーションをすること、自発的に行動することがなくては、命の深いところへ触れる学びはできませんから。 個人の人生、個性を形作るものは、その人の生まれた場所と時代、そしてその人をとりまく両親、兄弟、親戚や祖先に大部分がよります。
ひとついえることとして、生まれが良い、お育ちが良い方は、そういう人たちと出会っていく、ある意味同じ波動の仲間と生きていくことがいえます。それが、駆け落ちなどをして、波乱万丈的な人生になる方もいます。 結局、自分をとりまく「パラダイム」というのはある程度環境によるということ、これをどれくらい「自分の意志」によって変えていけるか。ということになります。 人生とは、自分が見ている「世界」の連続です。 「世界」は、目でみたものを脳(以外も)に感じたまま変換されて、みます。 その「脳」は、健康に左右されます。 そして、その「脳」は、手を自分で動かしたと思う前に、何かしらの信号を受け取っていることが研究発表されています。 そうすると、何、「自由意志ってないわけ」となります。 いえ、自由意志はあって良いです。ただ、私たちが思いがちなのと、実際の私たちの動きを決める「場所」が食い違っているだけです。 とくに言えるのが、「一生懸命がんばって」みたいなモードは、長く続きません。ある程度行動したら、今度は流れに身を任せることが大事になってきます。 そうして、自分のバイオリズムというものを客観視して、うまく自分の流れにのる、それがより良い結果に導かれる近道です。 ひとつひとつの小さな波を、サーフィンのように乗った、乗れなかったー、と一喜一憂するのではなく、その波たちによって総合的に起こされた奇跡を体験するのです。 それこそが、「自分」が起こすと決めていたことだからです。 たくさんのパラメータが影響していますが、 自分らしく生きていくために必要不可欠なのは、 自分とつながり、他者の影響にぶれない「自分軸」と 「健康」 です。 大きな病院で働くスタッフは、組織の歯車として機能しなければならない点がある。これはもちろんなのだが、今日はちょっとした配慮で救えるかもしれない、動物の命と、飼い主の心のお話です。 先日、友人から大学病院へ行った時に、愛犬の難病を告げられたという大変ショッキングな体験と共に、それを10人以上のインターンの若い獣医師か、学生が後ろにずらっと並んで、メモをとっていた。。。とても屈辱的な気持ちになり、それ以来、大学病院にいくのが毎回辛かった。毎回、毎回、愛犬がモルモットみたいな扱いを受け、傷つく感覚を体験し、そして、最終的に大学病院での治療を辞めた理由は、大学病院への不信感からだった。もうこれ以上、愛犬に、人目にさらされる、実験台のようなことをさせないために、行かない決断をした。という話を聴いた。 どうも聞いていると、同業ながら恥ずかしくなってしまうが、獣医師どうしの見解の違いや人間関係の端々の良くないエネルギーにクライアントや動物を巻き込んでいるようだった。これは技術的には最高でも、クライアントの満足度としては最高の獣医療ではない、ということだけは確かだったようだ。 そして、きっと大学病院側では、「大学病院は研究・教育施設だから」ということを理由のひとつとして言ってくるのだろうが、昨今動物医療コミュニケーションを取り入れる時代になって、それは理由にならないだろう。獣医師の意識レベルを上げる必要がある。 ・・・ではどうしたら良いか?私に泣きついた友人は、一応大学病院の役割的なこともフォローとして聞いてくれた上で、こう言っていた。。。「忙しいとか、学生の勉強とか、そういうのはわかるのだが、それなら学生がいる、ということを先に言ってほしかったし、シビアな話をするときは、ショックを受けることが予想されるならば、人目になるべく触れない配慮をしてほしい。後ろのインターンに見られているのが気になって、健全に悲しむことすらできず、余命宣告をされたのに、涙すら出なかった。」 当たり前だと思うが、その配慮が出来ない獣医師、配慮がされない組織、そこで学ぶ学生・・・私は正直、目も当てられない。 本当にクライアントに配慮のある動物病院では、カウンセリングルームもしくはそれに代わるプライバシーに配慮した談話する場所が設定してあるはずだ。ないところはそういう場所を今すぐにでも確保してほしい。間違っても、待合室などで命に係わるプライバシーな会話がされることがないように配慮したしたほうが良い。 一度クライアントがショックを受けてしまってからでは、獣医師・クライアントの関係に修復不可能な傷が入ってしまうことがある。結局、友人が愛犬を難病で亡くしてからも、そのことが悔しくて、その思いが残っているというのは、クライアントの人生に大きな影響を与えてしまっている。これは、現状の動物医療側の大きな問題点であるということを、私は提起したい。 今後の動物医療コミュニケーション教育に大きく期待したい。関係者の皆様、どうぞよろしくお願いします。 福井利恵です。 お正月ですね。 実は、お正月なしでお仕事してます。 今年は娘が、離婚した元夫の家で 過ごすことになって、 少し寂しいです。 ただ仕事をしていて、 今年はしかも自分のことに時間をなかなかとれず、 今日だけは自分のことだけしよう、 と思って仕事をしていたら、 胸のあたりがもやもや。 頭はしっちゃかめっちゃか パニック状態? こんなときは、 外に風をあびに出ます。 今日も、いつもどおり散歩に出て、 森に入ると、めずらしく言葉が口からでてきました。 「・・・さびしい。」 すると、胸のつかえがすうっと少し軽くなった 気がしました。 「寂しい!」 言葉を発するたびに、 その声が木々の中にきえていく。 ただ、静寂だけが残ります。 「悲しい。。。」 言い終わると なんだか呼吸が楽になりました。 パソコンで、疲れていたのもあって、 子供と離れていたのも、 つらかったんだな。て 仕事があるからって、 いられたら確かにきっと仕事には ならないんだけど、 いつもいる子供がいないって その反応が身体に出てしまうくらい。 愛しちゃってるんですね^^ わほー 生きてるって感じ。 そして、木々は 「少し、ここにいなさい」と、 今日もよりかからせてくれる。 木も、動物と同じ感覚で つながることができます。 大自然の前では、 人間のちょっとした悩み事なんて、 無力なんですよね。 自分の中にたまった エネルギーを出す場所は、 海もいいんですが、 山もおすすめです。 そのあと、近所の犬と遊んで よだれでろでろになって帰宅いたしました。 そのあと、無心でピアノを弾き、 自分の中にあるもの、 感情、思考、思いのような 身体にたまっているエネルギーを ピアノで表現して ピアノの波動になると 癒やし波動に変換され、世界に散っていく。 そして癒やされてみるって いつもより新しい感覚を得ました。 こういうヒーリングスキルのような ギフトを天から受け取ると 一見私たちが「悪いこと」のように 体験していることって 「ギフトを受け取るための過程」 なんだなって実感していきます。 「大丈夫、うまくいってる」て 自分に言ってあげられます。 何センチなシェアかと思われた方、 これは心理的に有効なワークです☆ お試しあれ♪ 夜は、家族ですきやきをつついて、 お正月団らん。 久しぶりのお肉、 おいしかったです。^^ それでは、また^^ かなりお久しぶりな投稿になってしまいました。すっかり年末モードに突入。。。
今日は、コーチングのご紹介です。 最近、コーチングセッションを再開しました。 コーチングでいいのは 自分が心の中でやろうと決めたことに対して、 自分でやっぱりいいやってあきらめたり、それが表面上でわかっているとまだわかりやすいのですが、 無意識でとめてしまっている場合もあるので、それを感じ取れるコーチが一緒にその心のブレーキやそれがどこからきているかを扱っていきます。 私たちが叶えたい夢ってありますよね。それは全くこの世界では実現可能で、それをする方法もわかっているのに、 私たちなぜかそれを無意識に押さえたり、あきらめたり。 その心のブロックって、沢山のビリーフが作っていることが多いんです。 でもね、それを上手に外して、自分でやっていけばいいんですけど、たとえば1度のスピリチュアルセッションを受けたところで、 そうだ!て気がついても、また元の日常に戻ると、さきほどの気づきひとつを元に日常でストイックに実践しつづけていくこと。。。それって難しいんですよね。 自分がそれを信じることができるか?そして1度信じたことでも、何度か訪れよぎる不信感の中でも自分を信じることを実践していかないと、望んだ方向へは行きづらい。 そんなことを、一緒に見るのがコーチです。私の場合は、3ヶ月間そうしてご一緒させていただきます。 1度コーチングを受けると、だいたい自分を止めるパターンがコーチと一緒にみるので、客観的につかめてくるんですよね。 せめてこの情報に触れた方は、一生に一度は受けることをお勧めしますね。そのほうが自分らしく生きるのに本当に役立つと思います、いえ、役立ちます。 先日の初回セッションのご感想をおひとつご紹介しますね^^ 昨日は、本当にありがとうございました。昨日の感想です。 コーチングと言うものを 初めて体験しました。 コーチングが、どう言うものなのかを説明して頂き 受けてみて 自分が何を望んで どの様にしていきたいのか漠然とし 深く考えていなかったものが 定まって見えてきた気がします。 自分から出てきた言葉に とても驚きもありましたが、納得もしました。とても これからの変化が楽しみな気がしています。よろしくお願いします。(Mさん 女性)(感想ここまで) このプレジャーコーチングはあと数名、人数受付可能ですので、ご興味ある方はご連絡くださいませ。 http://animalpleasure.weebly.com/ 今日は、久しぶりに友人とお茶をしました。その時に、飛び込んできた電話。
内容は、私の納得のいかないまま進んでしまった話。私は、相手の役には絶対に立ったと思うのだけれども、それを表面上で評価する方法と言うのをお互いに知らず、ご一緒するのをやめようと言う結果になりました。 今までも、違うパラダイムを持ち込む立場上なのか、実はこういう経験はたくさんあります。 私は結構いいことたくさんやったと思うんだけど。どうしてこんな私がこんな仕打ちをを受けないといけないんだろう。うんおかしいな。 と思いながら、友人の目の前で思っていることをポジティブな考え方に切り替え書いていきます。途中で友人からツッコミが入りました。 「この書き換え方、無理がない?」 そう、自分が頑張ったことまではいいんだけど、「そのことを経験させてくれた相手に感謝できる私だ。」と、そこで書いていたのでしたが、実はそこで納得がいっていなくて、もっと評価されていいのに。と言う思いが無視されている状況でした。 せっかくの提案なので、そこに、「やってられないよー。恩知らず!」と言う言葉を入れてみました。そしたら今度は、自然に感謝が湧いてきました。 そこに「色々とお世話になったことを書いて、ありがとうございます」と言う言葉を乗せると、この言葉がしっくりくるのです。私も友人もなんだかすっきりしました。 今日の事でも気が付いたんですが、どうもいい言葉いい人でいなければならないという自分の傾向があるようで、それに改めて気づくことができて、そしてこれからどうしたいのかなということも見ることができました。 こういうことを一緒に見てくれる友人に感謝です。今日はこの電話を受けるために、友人にあったのかもしれないなーって思った私です。 友人は友人で、私に会った意味を、感じてくれてました。人と会うって、ご縁ですね。\(^o^)/ ご縁に感謝です。 12月6日、河口湖のセミナーで清水一風さんの講演をお聞きしました。 その名も 口ぐせ理論♪ 清水一風さんの説明は大変わかりやすく、私たちが3次元で普通に生きている場合と、潜在意識を使い、自分らしく生きる方法とユニークなトークを織り交ぜながらなーるほど!と初めてこの手のお話を聞く方にもわかるように、脳のシステムの図解やキネシオロジーを用いて、体験とともにお話くださいました。私は今までふんわり理解してきたことが、腑に落ちたといいますか。 明日から3日間、ペットサイン協会で清水一風さんのセミナーを開催するのですが、楽しみです。 頭でわかっていても、なかなか実践できない方にも、こういう機会はオススメいたします。そう、私たち、一度コーチングやなんだを勉強したり、瞑想したりしてみて、その時は自分は変わった!なんて思っても、気がつくと三次元の枠だらけの生き方の環境に触れると、いわゆる日常にまみれてしまっています。定期的に自分を見つめる機会を持つことが大切だなあ、と実感するわけで。 今回のセミナーは、一泊で7日には、桑原先生による波動セミナーもありまして、波動の測定によりわかってきていることや、5次元のお話など、愉しく勉強させていただきました。 清水さん、桑原さん ありがとうございました。 セミナー後、河口湖で明日開業されるドッグ・ピットさんへ。妙子さん、お世話になりました! カイトくんとも再会しました。 思いを言葉にされて、実現されたドッグ・ピットのかみくらたえこさんには、心から感謝いたします。 ご縁に感謝 福井利恵 交通事故を起こしてしまったときに起るパニックこんにちは
先日、高速道路で交通事故を起こしてしまいました。 ちょっと家庭でいろいろあって、考え事をしていたため、というのと極度の疲れがたまっていたためか前方不注意、そして玉突き。 文字通り足止めを食った感じ 何よりも、前の車の方にご迷惑をおかけしてしまったことへ、 どうしよう、どうしよう。。。 そして、これから仕事なのに。でも、職場へ連絡とかは二の次で 車を路肩によけて、相手の方に身体のことを確認 このときのテンションって、もう、天国かどこか違う次元にいるみたい 警察の方、道路公団の方など私が呼んだ方以外3グループがきて、名前とか状況とかきいていった(さすが高速どうろというか、ルールなんでしょうね) でも、おかげさまで、自分が何度も状況などを説明している間、だんだん次元の違う国から、今いる次元へ降りてきたかも。 相手の方に、できるだけレイキしてあげたくて、でもなんか変だから あんまり人がみている状態でできないから 遠隔とかでも~ ってそれから友人にあとでヒーリングを送ってもらうようにお願いして。 すぐにやってくれて感謝。ついててくれて感謝。 現場検証はそのまま終わって そのあと、相手の方と分かれてから保険やさんと車のディーラーに連絡した。 「それは、大変でしたね」 みんなが口をそろえて必ず言ってくれる言葉 頭と心がほうっと落ち着く。 なんどもわき起こるその混乱から何度も下ろしてもらい、 すーーごく助かったんだよって ありがたく思って。 そこから、私に混乱を起こさないように、落ち着くように てきぱき対応。みんな助けてくれて。 パーキングから再出発するまでに 相手の方に遠隔ヒーリングをしたときに、 自分が持っていた、抱えていた悩み事と疲れが解消したところで、 こんな状態だと良いヒーリングができないんじゃないか、ーーという大きな気づき もう、こんなのやめたい!!いろいろ抱えてたこと、手放したい!! 私が見た目でほしがっているもの、また虚像の現実に合わせてちゃった自分の枠を見ちゃった。 私って、それじゃないんだよね。 今かかえていた問題を手放すことに突然決めたのだった。 「自分」のあたたかさが腹の奥から湧いてくる。 相手の方、早くよくなりますように。 さらにそんな状態で病気の動物たちに向き合えるわけもなく、 メンタル復活するまで約3時間。その後なんとか出勤。 それから、私も沢山沢山気づいたことがあって 車を酷使していたこと(思ったよりも損傷が大きく、ジェニー号とはこのままお別れの可能性が出てきました) 相手の方の車も、へこませてしまったので、自分の車に対してもこんなに思うのに、本当にもうしわけない。 今日は、ディーラーさんに代車を早急に手配してもらって感謝。 名前をつけてみた「マット」 しばらく、よろしくね。 みなさんに感謝♪ 動物医療現場では、人の一般的な個人病院とは桁違いの確率で動物が亡くなっていきます。人では、人が亡くなる病院というのは限られていることに対して、動物では地域の個人病院で看取るケースも多いし、そしてご家庭でなくなることも多いですが、やはり動物の「死」を共有する機会は人よりも動物医療従事者のほうが日常的に体験する位置にあります。 ここで、動物医療関係者のペットロスについて考えてみました。 動物医療関係者は、つまり自分自身が、人よりも泣けないことに気がつきました。これは感じる感情が正しいとか正しくないとかではありませんが、昔からロスの体験を多くしてきた自分は、そのあとも日常に戻ることが可能なこと、そして自分の中で段階的に沸き起こる感情や体験が一過性なことを体験的に知っていますし、何よりも看取った数、様子を含め他の方より多い体験をしているという要因があると解釈しています。 しかし、それにしても、動物医療現場で他のスタッフが泣いているのに、自分だけ、涙が出そうになるくらいで終わってしまうというのが、なんとも物足りないというか、自分は人間として大丈夫だろうか?麻痺をしていないだろうか、という心配が湧いてきます。 そして、だからこそ、自分が客観的にスタッフの気持ち、感情を受け取れる存在であろうと改めて心に決めた次第です。 よく体験すること ①罪悪感:動物を死なせてしまった、助けられなかったことへの罪悪感 ②自分への怒り:助けられなかった自分の能力への憤りなど ③つじつまを合わせることで何か理由を考える:死亡の原因、責任の所在をみつけること これらが起きて、治まっていく感じがありますね。 心の中で起きていることは、押さえて納めておくほど現場は優しくなかったり、忙しかったり。また、その忙しさ、他の動物への貢献で自分のロスへの体験の埋め合わせをしたりしているように感じます。 思うんですが、もちろんその動物との体験したことを、沢山話してあげること、スタッフ同士でも話してみること、そして飼い主さんにも、沢山お話してあげましょう。 それから、だれかや何かのせいにするのではなく、(もちろんここをニュートラルに整理することが現場や治療能力の向上には必要なことです)、現象を整理すること。 現場スタッフは、自分の中にある悲しみや苦しみ、怒りを乗り越えて動物や飼い主さんに貢献し続ける仕事ですので、心のケアが本当に必要なんだと思います。 口蹄疫の殺処分で、出会ったばかりの豚さんたちが沢山亡くなっていくことについても、いわゆるペットロスと同様の反応が自分の中に起こる体験をしています。心に起きていることが現実化に大きな影響を表すといわれていますが、だからこそ私は動物医療関係者の心のケアは大切だと思います。 星になった動物たちへ、心からありがとう。 福井 利恵 |
Author福井利恵 Archives
3月 2022
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